市ヶ谷のミズマアートギャラリーで6月3日から始まった堀浩哉展に行ってきました。
エリゼが読み上げる物語を聞きながら、堀はその意味、物語を離れ、ノイズとして画面に引っ掻き傷のように線を重ねていく、そうして描かれた500号の大作を眺めていたが、天空につながる空間に書き付けられた経文に見えてきた。
案内メールに添付されていたプレスリリース(下記)です。
★プレスリリース
堀浩哉展「滅びと再生の庭」 2015年6月3日(水)~7月4日(土)
6月3日より堀浩哉展「滅びと再生の庭」を開催いたします。
今回の個展では、2011年の震災後に制作された、宮城県閖上地区の海の映像に「記憶するために」という文字を重ねた作品《記憶するために》を更新したシリーズ《滅びと再生の庭》を中心とした、新作ペインティングとドローイングを発表いたします。
前回の個展開催が2011年。ミヅマアートギャラリーでは約4年ぶりの個展であると共に、3.11の震災から4年が経ったことを意味します。その月日の経過は、地震と津波がもたらした自然災害と文明がもたらした災害という二つの相の違いをより明確にしてきました。そこには「目に見える/見えない」という大きな隔たりとともに、語られるべく物語の「在/不在」もあると堀は考えます。そして文明がもたらした災害=原発事故の本質は、文明の限界と不可避に直面するだけだと。
「線」を、引っ掻き、「傷」を穿つように「書く=描く」。
堀の新作もまた、画面に書き重ねられた「言葉=文字」が意味や物語から離れ、「線」のみがノイズとして画面に傷を穿つように「上書き」されていきます。
堀にとってドローイングとは〈息を深く吸うこと〉と語るように、〈落書きでありノイズであり祈りでもある〉ような「線」を書き/描き続けながら、「生き続けていくこと」の痕跡を刻んでいきます。
《滅びと再生の庭》と名付けた今回の作品群について、堀は次のように語ります。
ぼくが想定するこの「庭」は、物語から疎外された「有限性」の側にこそ立つという意志そのものであり、それでもなおそこからしか紡げないだろう物語への希望の場所でもある。それが「境界線上」に立ちつづけると遠い昔に宣言したぼくの場所であり、絵画を再起動しつづけるためのぼくの「戦場」なのだ。滅びを憂うのではなく、新しい芽の息吹と再生を願うこと。絵画を再起動し続けるための「戦場」=決意。
70年代から絵画を問い、直視してきた堀浩哉の「いま、ここ」を提示する、新たな試みをぜひご高覧ください。
《イベント》
6月20日(土)18:00~ 「堀浩哉+堀えりぜ」パフォーマンス
7月4日(土)15:00~17:00 「超ロングインタビュー・番外編」
インタビュアー:伊村靖子(国立新美術館情報資料室)、畠中実(ICC主任学芸員)、
土屋誠一(美術批評家、沖縄県立芸術大学准教授)
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堀浩哉展「滅びと再生の庭」
〈会期〉2015年6月3日(水) ~ 7月4日(土) 11:00~19:00 日・月・祝休廊
〈会場〉ミヅマアートギャラリー
〒162-0843 東京都新宿区市谷田町3-13神楽ビル2F
TEL:03-3268-2500 / FAX: 03-3268-8844
EMAIL: gallery@mizuma-art.co.jp / HP: http://mizuma-art.co.jp/
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