サンレモから約8km離れた丘の上の村<ブッサナヴェッキア>、1887年2月23日午前6時21分に大きな地震があり、村のほとんど全ての家が破壊されました。その時、教会でミサが行われており、住民が集まっているところに教会の天井が崩れ落ち、多くの犠牲者を出したそうです。 生存者は、この地での再建を諦めて、丘の下方3㎞に移り住み、新たな村を創設した。
そして、何十年もこの地は放棄された。50年代後半になって、イタリアや海外のアーティストがこの立地や建物の独自性に惹かれ、理想的な芸術家コミュニティを目指し、定住した。
フランス語と英語を共通語とし、コミュニケーションを図り、また「憲法」らしきものを設定し、入居や生活の取り決めをしたり、共通のギャラリーを運営したり、ワークショップを開催した。
徐々に村民が増え、1974年に水道水が1977年に電気を国が整備し、観光地化を推進したそうです。 村に大量の観光客を誘致するには、アーチストの芸術活動、作品に依存する必要がありました。この目的のために、芸術作品は販売を目的とする作品制作に陥り、本来目指していた芸術作品とは異なり、職人技を駆使した作品になって行ったそうです。*詳しくは、Bussana Vecchia で検索し、ウィキペディアをご覧ください。
いつからアーチストが離れていったのか分りませんが、現在は民芸品的なものを販売している店や芸術作品を展示しているといは言えないようなギャラリーが数件ありました。 しかし、この村はサンレモ観光の2番人気と言うことで観光客は多かったです。
村の入り口にあった「BONSAI」という看板が印象的でした。オリーブの不規則な年輪が作り出す幹は面白い。
村の入り口壁面にあったレリーフとレストラン
まずは腹ごしらえ、炭火焼のアンガス牛がうまかった。連れと2人で赤ワインのボトルを空けてしまった。
いろいろなショップが。店内は撮影禁止。
天井が落ちた教会跡
村の狭く入り組んだ通路や住む人のいない住居、きれいに手入れされた住居、撤退後の店など。
郵便受けは一箇所に
丘の下の元住民の街では、イベントが行われていた。いろいろな露店が並び、ウサギや七面鳥、山羊、羊なども売られていた。