潮田文さんから今年4月に刊行した潮田文写真集「風にふかれて」が送られてきた。何キロあるのだろうか?本人も恐縮しているように、分厚くて、重い。648ページある。
1970年からの1000点近くの写真と「見えることと、見えないこと」の一文から始る100ページを超える文章で構成されている。コントラスの弱いスナップ。地名からもどちらかと言えば、見慣れたはずの風景だけれど、記憶にない風景が並んでいた。
最初の頃は、動物園、公園、遊園地など。次に街のスナップへ。私には、人は写っているけれど、何故か人を避けているように感じられる。
小学校時代を過ごした「十条駅前踏み切り」のスナップを見ながら、叔母が老人施設に入ったので、つい二週間前、約30年ぶりに十条商店街にある家の荷物整理に行ったことを思い浮かべ。十条駅前広場の街頭テレビで力道山の空手チョップを群集に混じって見たこと。この踏切から20mぐらいの所にあった暁幼稚園を思い出し。東京家政大学の看板に、大学構内の森(小さい時はそう感じていた)に友人と蝉取りに行ったこと。セブンティーン的な雑誌の創刊チラシを大学の校門前で女子高生に配ったこと(たぶん石内から頼まれたバイト)。大学の先に造成地があり、野球をやったこと。このスナップが記憶をたどるトリガーになった。
しかし、写真家は大学への進入路を示す、この看板を撮ろうと意識したのだろうか?
スケッチは描くことによって、見ているもの見えているものを確認する。私も旅行の時はスナップ写真をよく撮るが、撮影する時には写るもの全ては見ていない。プリントアウトして、初めて写り込んだいろいろなエレメントに気付く、気付かされる。現場で見えなかったものが、後で見えてくる、何か宝物でも発見した気分になる。
学生時代に観た「欲望・Blow Up」という映画を思い出した。ミケランジェロ・アントニオーニ監督の作品だった。主人公のファッションカメラマンが撮影した日常の平凡な風景写真に、何か違和感のある点が見つかる。その部分を引き伸ばしてみると(Blow Up)、不自然な視線を送る女と草陰から銃を構える人物、さらに撃たれて倒れたらしき人物が現れた。意図しないものを切り取ってしまうスナップ写真は面白いし、恐ろしい。