堀浩哉の個展「起源-naked place」に行ってきました。市ケ谷のミズマ アート ギャラリー http://mizuma-art.co.jp/special/index.html で8月20日(土)まで一ヶ月間開催されています。
150号×3枚や500号の大作から黒い壁の茶室に飾られた小品まで、新作10点が展示されている。全作品モノトーンの抑制された世界の中で、会場入口近くに展示された1点だけに、象徴的にブルーが使われていた。モノトーンの中で、ベースのアルミ粉が絵の具に輝きを与え、絵全体に明るさをもたらしていた。
オープニングパーティの最中、堀とエリゼのパフォーマンスがあった。堀はロープに縛られ、自由を失った状態で、わずかに動かせる足で歩を進めながら「記憶するために」と呟き、えりぜは破れた白い衣をはおり、破れの繕いを観客に一針、一針刺してもらうというものだった。
久々に会った矢田卓や潮田文と二次会に向かった。神楽坂「竹子」のスタッフは素晴らしい、75キロある矢田を車椅子ごと3階まで持ち上げてくれた。40人ぐらい居た参加者が次々消えて、12時近くには我々だけになってしまった。帰りはスタッフが矢田を背負って、下ろしてくれた。
日本酒を飲みすぎたためか、乗り越した蒲田の駅で駅員に起こされて、タクシーで帰宅。
堀の開催の案内メールに添付されたあいさつ文をそのまま掲載します。
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堀浩哉個展『起源 − naked place』について
堀浩哉
3・11の大惨禍を前にして、ぼくらはみんな言葉を失ってしまった。それから一ヶ月して被災地を歩き、ぼくは言葉を失うと言えることの甘ささえ噛み締めた。
それでもなお、ぼくは言葉を紡がなければならない。描かなければならない。でなければ、ぼくもまた、あのツナミの底に引きずり込まれてしまうから。
いや、もうすでに海の底なのか。
ならばなお、ぼくは言葉を探さなければ。絵を探さなければ。
ミヅマアートギャラリーでは初めての、そして国内では4年ぶりの個展になります。
前回の個展は2007年11月〜12月に、ギャラリー山口(東京・京橋)で行いました。海外では、その後も2008年と2010年の二回、韓国のソウルと釜山の画廊で同時個展を開いていますから、制作と発表活動が滞っていたわけではありませんが、国内では久しぶりになります。
昨年6月には、ギャラリー山口での個展が決まっていたのですが、ご存知のように昨年1月にギャラリーが倒産し山口さんも亡くなり、個展は消滅しました。山口さんとは、1980年の開廊以来30年に及ぶ付き合いでしたし、その前年にはやはり長く付き合ってきた村松画廊も閉廊し、さらに前にはギャラリー手やギャラリー上田など、ぼくが付き合って来た画廊はすべて閉廊したり縮小してしまっていたので、その終焉はぼく自身にとって一つの時代の終わりを強く意識せざるをえないものでした。この国を長く覆って来た停滞感、閉塞感と相まって、ぼくにとっての「終わり」の感慨はことさら強いものでした。
しかしその一方で、ここ数年ぼくは韓国と中国に出かける機会が多く、両国の数多くのアーティストたちと交流し、若く勢いのあるアートシーンとも関わりながら、もう一つの「はじまり」の予兆をも感じ続けてきました。
ミヅマアートギャラリーの三潴末雄さんとぼくは同世代であり、ぼくらはお互いにまだ20代前半の1970年に出会っていました。そのころはまさか三潴さんが将来アートシーンに登場するとは思いもしていませんでしたが、強い印象のある出会いであり、その後も彼のことを忘れることはありませんでした。自分にとって出発点の時代に出会った三潴さんと、今この時期に、再びこうして出会っていることに、不思議な縁を感じています。
3・11以降の日々の中で、「終わり」と「はじまり」が前後もなく同時に共存し、せめぎあっているという感覚が、ぼくにとってはさらに決定的なものになっています。そこから、新たなシリーズが立ち上がってきました。とはいえ、この先はたしてどこへ行くのかはまだ見えていません。しかし、動き出そうという意志だけは明瞭です。
7月20日のオープニングでは、「堀浩哉+堀えりぜ」のユニットによるパフォーマンス『記憶するために』を行います(午後7時半から)。
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