6月1日、堀浩哉の運転するポルシェに同乗して、川崎・生田の春秋苑で行われた
針生一郎先生の告別式に参列しました。
1969年、私は宮本隆司らと叛デ同を結成し、堀や彦坂らが結成した造形作家同
盟と美共闘を結成しました。そして、上野毛の新館を占拠し、第二次多摩美バリ
ケード闘争に突入しました。その時の教授会の議長が針生先生でした。
私はデザイン科だったので、授業などで接する機会はありませんでしたが、中原
祐介教授と東野芳明教授と現代美術の評論家御三家で、新時代を切り開く水先案
内人でした。バリケードの中や団交の場面で、「わかば」を吸いながら話す姿が
思い出されます。
あれから40余年、弔辞や花輪の名札に、改めて休まず走り続けてこられた先生の
頑張りがよく分かりました。日本での反権威、反権力の戦いだけでなく、韓国の民
主化闘争やパレスチナ支援闘争など、ご努力されたことに敬意を表します。
ご冥福をお祈りいたします。合掌。