上海からは車で約2時間。江南の水郷古鎮で、烏鎮が最も栄えたのは唐の時代。
日本の奈良時代に、これだけの水路が築かれ、街並みがほぼ出来ていたことに
驚かされる。3月初めなのに、雨降りが続き、まだまだ寒さ厳しい天候だった。
烏鎮水郷の観光は、120元の入場料を払って、街に入る。水路が交通手段であり、
その両岸に家が並び、船着場がある。洗濯もする。東洋のベネチィアと言われ、
違いは、家屋が石造りか木造か?石橋の構造は相似形と思えた。
細い石畳の道が水路と平行にあり、両側に木造の民家が並び、その家で生活し
ていることが素晴らしい。日本でも、奈良県橿原市の今井町では、江戸時代の
家と街並みが残され、中世を感じることができる。厳しい制約の中で、生活す
ることの大変さを聞いたこと思い出した。
古い商店が、昔からの風情、やり方を守りながら商売していることに、敬意を
称したい。書画店や仏像彫刻、べっ甲細工、抗白菊、焼き豚、麦芽糖、生薬店
などなど、そして、原始部落と言う看板が下がった通りがあり、知らず知らず
のうちに郷愁に浸される。
ブダペストの古い石造りの建物がなぜ残っているかと言えば、経済的に恵まれ
ない共産主義社会だった結果、開発が遅れた。18,9世紀の堅固な石造建築物が
破壊されることが無かった。そして今、改修が進み、綺麗な重厚な街並みが復
活している。烏鎮のこの歴史から取り残されたような街並みも、歴史の悪戯で
あり、それぞれの時代に生きた人々の努力であり、唐時代から千有余年の街の
歴史を刻んできた人々の足跡が思い起こさせられる。(写真はフォトに掲載)