「中西直子/中西祥司2人展」(2018年6月11日~16日 ギャラリー久保田1F)に出品した中西直子の作品を掲載します。
遥かな夢 2004年 中西直子

テレビからの古代蓮(大賀ハス)の開花のニュースに触れ、大賀博士によって発掘された約2000年前の一粒の古蓮実がよみがえり、千葉にある公園の大きな池を埋め尽くす蓮の花を咲かせていることに感動し、構想した作品です。その大切な一粒、まだ生命が宿っていた一粒への思いを表現したかった、一粒の種子と手に拘っていました。

この数年後、ベトナムを旅した時に行ったレストランで、建物を囲むように池一面に咲く蓮の花に出会い、同じような風景に驚き。また、タージマハールにも行きました。そういう意味合いの夢であれば、その夢は実現しました。
ラ・マンチャの窓 2005年 中西直子

1999年 スペイン ラ・マンチャ地方の風車群を訪ねました。周りは一面のブドウ畑、一か所小高い丘があり、そこに風車が強い日差しをうけて並んでいた。風車の中に入ると外気の暑さは厚い白壁に遮られ、ひんやりと冷えた空気が気持ち良かった。
小さな四角い窓と白い壁、そこから見える額縁に入れられたようなに切り抜かれた風車群。その構図が面白かったのだと思います。リンゴはありませんでした。
パプリカを売る店 2006年 中西直子

2005年9月 ハンガリー・ブダペストを訪ねました。
まだ共産主義からの体制変化の真只中、国会議事堂は建物の半分は外壁掃除が終わり、白い石の地肌が美しく見えていましたが、残り半分はまだ真っ黒でした。
その郊外にあるセンテンドレ。楽しそうな落ち着いた暮らしを感じる小さな街でした。ユニークな作品を展示するギャラリーがあり、一目で何を商う店か伝わる看板の数々。


パプリカを売る店は黒い扉一杯にパプリカを飾っていました。強い光に照らされたパプリカの赤と黒の対比、印象的なモチーフであったと思います。
Paris 2007年 中西直子

2006年 6月 イタリアに娘を訪ねた時に、トランジットのパリに3日間滞在しました。この光輝くエッフェル塔を観た一日は過酷なスケジュールでした。
朝、サンセザール駅からベルサイユ宮殿の最寄り駅へ。朝市を見学し、宮殿へ。プチ・トリアノン宮も見学。その後、電車でノートルダム寺院へ、それから凱旋門、シャンゼリゼ通りを歩き、エッフェル塔へ。最上階の展望台から夕陽を眺めた。塔から眺めたセーヌ川岸のメリーゴーランドを見に。その橋の途中から見上げたエッフェル塔です。


少し底高の靴を履いていた直子は足が痛くて、もう歩けないと。タクシーを拾い、ホテルに帰りました。
―異国の情景― ヘンゼルとグレーテル 2008年 中西直子

2007年9月 南ドイツ・ハイデンベルグからロマンチック街道を行き、ローテンブルグをはじめ、マイン川沿いの木組み家屋が多く残る中世の街を見学しました。

ローテンブルグの木組み家屋のホテル
その中の一つ、バートヴィンプフェンという小さな街へ。木組み家屋を珍しがって撮影していると、ドイツのおじさんが呼んでいる。「こっちにもっと良いのがあるから来い」と手振り身振りを交え、言っているようだった。そこには、メルヘンティックなかわいい木組み家屋があった。修復して間もないのだろう、白壁も木に塗られたペンキもまだ綺麗で、花も美しく彩りを添えていた。

直子はその風景を眺めながら「ほら、ヘンゼルとグレーテルが出てきそう!」と。
ハロン湾/メコンの川船 2009年 中西直子

2008年10月 ベトナムへ。ハノイから車で約5時間、ハロン湾へ。1994年、ユネスコから世界自然遺産に指定され、「海の桂林」と呼ばれる神秘的な水墨画のような景観は素晴らしかった。大小様々な島々が奇峰の様に現れる。少しかすんだ空間からは、まさに、天にも昇る龍が現れそうだった。

ハノイからホーチミンへ。美しい建物にフランス統治の名残が感じられた。ホーチミンからミトのベトナム戦争の戦跡へ。トンネルを中心とした学校や病院、炊事場など、日常生活の場など見学。ベトコンは日常生活をしながら、戦っていたのだ。そこからメコン川クルーズへ。島の中を親子で漕ぐ、この川船で案内された。一仕事終えて帰る後ろ姿に何を感じたのだろう。


INDIA情景 2010年 中西直子

2009年10月 インドの旅へ。ニューデリーからタージマハールまで車、ガンジス川のガートで有名なヴァナラシ―へ夜行列車で。駅は真っ暗、その中で蠢く人々の影、ホームレスか。ホームも電灯が少なく、暗い。何か足元を動き回るものがいる、鼠だ。ホームからゴミをはき落とす、そのため鼠にとっては格好の餌場であり、安全な巣窟なのだろう。電線には群れを成して野鳥が止まっている。

有料道路にもラクダの隊列がいたり、道端には孔雀がいた。タージマハールのベンチでは猿の親子が寛いでいた。ランチに入ったレストランでは、楽器を奏でる兄弟が出迎えてくれた。




一般道には、散歩する牛が多数、水牛も歩いている。駱駝車も走っている。観光名所の寺の前では、ゴザを敷き野菜を並べ、荷車を売り台にし、フリーマーケットが開かれていた。ヴァラナシ―は聖地であり、牛も多いせいか、朝早い道は大きな柔らかそうな糞だらけで、よけて歩くことも大変だった。

直子にとっては過酷な旅だったようです。インドだけはもう二度と行きたくないと言っていました。
nostalgia 2011年 中西直子

直子は国際展示場にある会社で60歳まで、働いていました。一時期、通勤に利用していた「ゆりかもめ」から、クレーンが並んでいる港の光景が良く見えます。そのクレーンが「キリンに見える!キリンに見える!」と言っていました。ガントリークレーンのことをキリンと呼ばれれていることを最近知りました。
「nostalgia」と名付けられたタイトルから推察すると、仕事帰り、夕日を浴びてたたずむクレーンの姿に、キリンが故郷のアフリカを首をさらに長くして、望んでいるような姿を重ね合わせ、郷愁を感じたのだと思います。
一日の始まりー niceにて 2012年 中西直子

2010年11月 我々はニースの有名なホテル、ネグレスコの隣のホテルに2泊しました。朝、海がピンクに色づきだす頃に、鳥の大群の移動が始まりました。街路樹で休憩をしながら、カンヌ方面に向かっていきました。何万羽いるのだろう?
この海岸の散歩道で自動車が走り込み、海岸を散策する人たちをひき殺し、重傷を負わせるテロがありました。直子は朝起きると、朝焼けをスケッチをしていました。
作品に描かれたモーニングセットのコーヒーカップは、我々の結婚記念に頂いただいたものです。一日の始まりと結婚生活の始まりを掛けたのかと思いました。
Toscanaで! 2013年 中西直子

2006年 6月 パリからローマに。空港で娘と待ち合わせ、レンタカーでトスカーナを回りました。2日目、シエナの観光を終え、宿へ。ランドマークのない道を行ったり来たりで、やっとたどり着いたアグリツーリズモの宿。美しい旧市街が残るシエナやワインで有名なモンテプルチャーノ、コルトーナなどの近くです。
「食事の時間」と声がかかり、レストランに行った。ボーイが案内してくれた。しかし、テーブルの間を通りこし、ボーイは扉の前の大きな鉢植えを動かし扉を開ける。庭へ、外だ。そこに夢殿のような建物があり、ガラス張りだ。その中のテーブルに案内された。客は我々だけだった。地元産のズブマンテ、ワイン。地元の食材を使った美味しい料理。キアナ牛のステーキは抜群でした。久々に家族が顔を合わせ、楽しい時を過ごしました。

昼のレストラン
直子はアーチチョークが気に入り、この絵にも描きこんだようです。
Memory (Imperia) 2014年 中西直子

2010年11月 イタリアから帰ってこない娘を訪ねてインペリアに行きました。娘は旧市街の海辺のレストランでシェフをしていました。東ヨーロッパからの出稼ぎの身体のデッカイスタッフを使い、小さな体で頑張っている姿に感激したようです。


インペリア ポートにあるアパートから自転車でレストランに通っていました。旧市街から降りてきた道とインペリアからサンレモ方面に向かう海岸線の道、この交差点を海に向かって下るとレストランがありました。
お任せメニューで、娘が作ってくれた料理を味わいました。
風のカノン(キンデルダルク) 2015年 中西直子


2014年 8月 オランダ、ベルギー、ルクセンブルグを旅しました。世界遺産と美術館を巡るツアーで、クレラーミュラーやゴッホミュージアム、マウリッツハイスなど鑑賞し、世界遺産の街やキンデルダルクにも行きました。広大な湿原に風車が並んでいました。昔は風車の管理をしながら、風車の中で生活し、快適だったとか。しかし、風車の回る音は凄まじいとのこと。ドイツ人運転手が道を間違え、というかナビの入力間違えで、到着が2時間近く遅れ、残念ながら風車の中を見学する時間はなかった。



ブリュッセル市のフラワーカーペット
何度も大きな洪水の被害にあっているというオランダ、風神が風を送ってくれたら、さぞや有難かったことだろう。
美とは対極の ―夢― 2016年 中西直子

2016年10月 卵巣がんと診断され、治療が始まりました。しかし、血管からあふれ出た水分は腹水となり、お腹がはち切れそうに膨らみ、いろいろな内臓が圧迫され、胃も圧迫され小さくなって、食事も進まず、抗がん剤の副作用で嘔吐はあり、苦しくて熟睡できない夜が12月、1月と続きました。
そんな時に、化け物カエルが現れて、襲われたようです。首を絞められ、苦しく恐ろしくて目が覚めたり。この絵を見て、そんな状況になっても、お茶のことが頭から離れなかったんだと、改めて思いました。
茶道は裏千家の教授で、親の後を継いで教えていました。また、亡くなる3か月前まで、市ヶ谷の道場に通い勉強していました。
下記の句は、手術が終わり、希望が抱けそうになってきた気持ちを表現したのかと思います。2016年2月の句です。
心にも 舞い込んで来い 花吹雪
*以上の作品は、女子美の卒業生でつくるJOWの会が開催する年一回の展覧会のために制作し、出品したものです。
*下の写真は、女子美の学生時代のシルクスクリーンの作品です。
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中西直子